2つの回復の仕方
人には、2種類の回復の仕方がある、という話を聞きました。人と会うことで元気になる人と、ひとりになることで元気になる人。青木耕平さんがラジオで話されていて、印象に残っています。
ただ特に心に引っかかったのは、こんな指摘でした。
「社交的に見える人でも、人と会うと消耗して、回復はひとりの時間でしている人もいる」
外から見える姿と、実際の回復の仕方は、一致しないんだと思います。
私の場合
私自身は、人と会うことが嫌いなわけではありません。むしろ、人と深く話す時間は好きですし、刺激も受けます。
でもそのあと、エネルギーが大きく減る感覚がある。気づかないうちに、心を配るのに相当な力を使っているのかもしれません。
一方で、ひとりで静かに針を持っている時間は違う。そこでは、少しずつ自分が戻ってくるような感覚がある。散っていたものが、集まってくるような。
東洋医学の「気」で考える
東洋医学では、「気」という考え方があります。人と会うことは、気を配り、気を動かし、外へ出すこと。それによって整う人もいれば、逆に消耗が大きくなる人もいる。
この違いを、単なる性格ではなく「気の巡り方や使い方の違い」として考えると、なぜか腑に落ちるんです。
ひとりの時間で気づくこと
先日、SNSでこんな投稿を見ました。夫と子どものいる主婦の方で、家族のことは嫌いではない。むしろ大切に思っている。でも毎日、家の玄関の扉を開けるのがとても億劫なのだそうです。
そんな時は、すぐに帰宅せず、ひとりでカフェに立ち寄って、ぼーっと時間を過ごしてから帰る。子どもの「ママ見て」という声。夫が見てもいないテレビの音。生活音や、人の気配。そういうものが、少しずつ自分を削ってしまう感覚があるんだと。
なぜこんなに苦しくなるのだろう、と自分で掘り下げてみた時、気づいたのは──
「自分に戻れる時間がなかった」
カフェでひとり過ごす時間だけが、自分に戻れる時間だった、と。
その投稿を見て、私はなんだかとても共感しました。
私にとっては、それが刺し子なんだと思います。
回復のタイプ
東洋医学的に見ると、人の回復には、いくつかのタイプがあります。
内に向かうタイプは、私のように、気を内に集めて整える人。外へ出すよりも、静かに過ごし、散った気を戻すことで整っていきます。刺し子のように、一定のリズムで針を進める時間は、呼吸が整い、気が少しずつ内側に集まってくる感覚があります。
外へ巡らせるタイプもいます。このタイプの人は、ひとりでじっとしていると、かえって気が滞ってしまう。人と話したり、外に出て刺激を受けることで、気が動き、結果として整っていきます。
活動そのものがエネルギーになるタイプもあります。動くことでエネルギーが高まり、人と関わること自体が、そのまま回復につながるような人たちです。
どれが良い悪いではなく、ただ「整え方が違う」だけ。

世間的なプレッシャーと折り合う
でも私たちはつい、誰かのやり方を正解のように感じてしまうことがあります。外に出る方がいい。人と会う方がいい。もっと活動した方がいい。そんな空気に、無意識に合わせようとしてしまう。
けれど、静かな時間の中でしか戻ってこない感覚も、確かにあるんです。そしてそれは、引け目を感じる必要のないものだと思います。
刺し子で「気が整う」理由
刺し子をしていると、呼吸が静かになり、散っていたものが、少しずつ集まってくるような感覚がある。
それは、外に出ていた気が、自分の内側へ戻ってきているからなのかもしれません。

Screenshot
自分に合った整え方を選ぶこと
もしかすると、刺し子が好きな人は、人と関わることで満たされるというよりも、ひとりの時間の中で、自分を整えることが必要な人なのかもしれません。
もしそうなら、無理に外へ出なくてもいい。人と同じ回復の仕方をしなくてもいい。自分に合った整え方を知って、それを大切にすること。それだけで、ずいぶん楽に生きられる気がしています。
針を持つ時間は、何かを作っているようでいて、本当は、自分を整えている時間なのかもしれません。
※北欧暮らしの道具店の代表、青木さんのポッドキャスト「考えすぎフラグメンツ」面白いです。
わたしも考えすぎるタイプなので 共感します。




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