しんどいと思っている全ての母親へ

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あなたは、母親ですか?

母親業は楽しいですか?

女は理不尽だなとモヤることがありますか?

あなたは、娘ですか?

お母さんは、あなたからみて、大変そうだなと思ったことはありますか?

 

第一章 母親業と、その背景にあるもの

私は、母でもあり、娘でもあります

夫の母親にとっては、義理の娘でもあります。

鹿児島出身の夫と結婚して、義理の母が、長男である義理の父関係の親戚の盆正月の接待をする姿をみて、大変驚愕しました。義理の父関係の親戚の、特に男性はどっしりと座り酒をくみかわし料理をつまみに話に花を咲かせる。その水面下で、義理の母は想像を絶する神経を使い、おもてなしをし、時には吐きながらそれをする姿を目にしました。

私は愛知県出身なので、そこまでの親戚の接待は母はしていませんでした。でも、姑である祖母の世話と、父の兄弟の集まりの世話をしているところを見ながら育ちました。

昭和は当たり前だったかもしれません。

世代を超えた「女性の仕事」

でも、私の親世代の女性たちが、今、自分のために時間を使おうと、熟年離婚が大変増加しているようです。

私の親世代だけではありません。

年収はほぼ横ばいなのに、税負担と社会保険料は2倍ほどになっていることに加えて、物価高も地味に生活に響いています。

その中で、男一人で嫁と子どもを支えるだけの年収がないのが現状です。 私も周りの女性たちも、ほぼ共働き家庭が多いです。

育児や家事、そして介護の時間が確実にとられる中で、男と同等に稼ぐのは無理だし、社会的にも女性は稼ぎにくい構造になっています。

そうした中で、経済的な貢献と家事育児の責任の大きさが、社会的に同等と見なされにくいという構造が生まれやすいのです。だから、不満と違和感が生まれ、SNSにはそれが溢れています。

私の世代の夫婦も離婚率は増加しています。

第二章 「疲れ」の中で見落とされるもの

あなたの「違和感」に気づくまで

長い間、違和感を感じていました。 「『何か』が見落とされている」

その『何か』が何かは、その時はわかりませんでした。 自分だけ別の場所にいるような、孤独な感覚。

何年かたって、ようやく言葉になりました。 それは「一緒に」という感覚の不在だったのです。

私は子どもの健康管理、学校の行事、日々の名もなき家事のスケジュールを頭に入れ、その日その日を整えている。遠出をするなら、その前に家族に必要なものを準備し、帰ってきたら食事を作る。洗濯物を干す時には、タオルはしっかりパンパンはたいてから、シワなく干す。服は型崩れしないように丁寧にハンガーに掛ける。自分が自分の用事で出かける時、家族の夕食を整えてから出る。そうした、誰に褒められるわけでもない、小さなことの積み重ねで、家族は暮らしやすさを得ている。

でも、その「小さなこと」は、当たり前のものとして見なされている。

自分が感じ、察し、整えようとしている何かが、共有されていない。

その『見落とされていた何か』に気づいた時、長年の違和感が、ようやく形になりました。

第三章 東洋医学が示すもの

陰と陽のバランスが崩れるとき

 

東洋医学には「陰陽」という考え方があります。

 

陰は「センサーの役割」を持つとされています。外界の変化に敏感に反応し、その変化を検知する。女性は、もともとこの「陰」の特性を持つ傾向があります。

一方、陽は「エンジンの役割」です。何かが壊れた時に、パワーで修復する。動くことで何かを成し遂げる力です。

健全な陰陽のバランスでは、陰(センサー)が異変を検知したら、陽(エンジン)がそれを修復する。しかし、私たちの社会は長く「陽」の価値(金、結果、数字、目に見えるもの)を中心に回ってきました。その中で、「陰」の役割(見えないもの、起きなかった問題、気づいて防いだこと)は評価されない設計になってしまいました。

だから、多くの家庭では、陰(母親)が異変を検知しても、陽(父親)がそれを修復しない。

その結果、陰だけが疲弊し続けるのです。
これは、誰かが悪いわけではなく、社会全体に組み込まれた構造だからこそ起きていることなのです。

第四章 刺し子が教えてくれること

「私だけになれる」時間

刺し子をしている時、私は私だけになれます。

私だけの世界の中で、見るのは針と糸と縫い目だけ。

誰の影響も受けない一人の世界にいける。

それは孤独ではなく、自分を取り戻すことです。

ズレに気づく過程

自分が誰か他の人に引っ張られて、生き方を決められているという感覚がある時。

一針一針、手を動かしていると、その自分の「ズレ」が自分に戻ってくるような気がしてくる。

細かい針目の「ズレ」に敏感になります。一目一目が揃っていない時、手が教えてくれます。「ここ、ズレてる」と。そして、そのズレを感じながら、手を動かし続ける。

完全に整うわけではない。ズレたまま刺している時間もある。でも、その過程で気づく。

その「気づき」が何より大事なのです。

整いに向かう感覚

自分が動かしているという感覚を超えて、通している、整いに向かうような感覚。

刺し子は、単なる修繕ではなく「自分の感受性を整える行為」なのです。

母親として、毎日「ズレ」を検知し続けるあなたの感受性。その感受性は、実は非常に鋭敏で、価値のあるものです。

刺し子をしながら、自分の手を通してそのズレを感じる。そして、一針一針、それを刺していく。その過程で「気づき」が積み重なっていく。

第五章 戻れる場所

私が手に入れたもの

刺し子をすることで、私は戻れる場所を持てるようになりました。

引っ張られ、決められ、見落とされ続ける日々の中で。自分の「ズレ」を見つめ直す場所を。

完全に救われたわけではない。根本的な問題は何も変わっていない。

でも「戻れる場所」があるということ。それは、何ものにも代え難い。

いま同じ場所で気づいている人へ

そして、いま同じ場所で気づいている人がいます。

母の日に、このキットを手にしてほしい。←近日お店に出す予定の、ハンカチキットです。今、準備中です

高い技術を習得するためではなく、自分の疲れと違和感に向き合うために。自分の感受性を、責める対象ではなく「価値のあるもの」として認識するために。

毎日、子どもや家族の「ズレ」を感じ取り、それを直そうとしているあなたへ。

一度、自分の手と心に向き合う時間を持ってください。刺し子という、非常にシンプルな手作業を通して。

そこで気づくこと。その「気づき」こそが、あなたを変える。

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