身体感覚を信じること、世界とつながり続けること GACKTの投稿から

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大量消費・効率・刺激過多の社会に身体がついていかない。

そう感じている人へ、このブログを書いています。

洗剤がつらい

先日、涙が出るぐらい辛い思いをしました。

子どもの小学校で、あるお手伝いがあり体育館に行きました。 そこで、児童たち20人ほどの中で1時間過ごしたのですが、児童たちの服のにおいがすごい!最近の洗剤と柔軟剤は常軌を逸しているかと思うほどにおいがきつい。屋外と違って、体育館は換気があまり良くないせいか私にとってはそこは毒ガス室と同じでした。子どもたちはこんな環境の中で過ごしているのかと愕然としました。

お手伝いが終わり、用事がすんでその場を離れてからも、体調が悪く、結局次の日の午前中ぐらいまで体調が悪かった。。

その後、先生にもそのお話をさせてもらったのですが、先生は何も気づかなかった、とおっしゃっていました。 調べてみて分かったのですが、柔軟剤等の原材料の中に、嗅覚阻害剤が入っていて、毎日そのにおいの中にいると、においの感じ方がだんだん鈍感になっているらしいです。

数年前まで、私も合成洗剤を使っていて、自分は無臭だと思っていたので、本当にそれはわかります。やめて、半年~1年経ち、衣替えの時に「前使っていた洗剤はこんなにきつかったんだ」と愕然とする、といった経験は、SNSでもよく見かけます。

なぜそんなことが起きるのか

それでも、においの感じ方は本当に個人差があるんだなと思いました。 私がもし小学生に戻ってあの空間の中で過ごせと言われたら、絶対に無理です。 好きな友達ともにおいのバリアのせいで近づけず、集団から離れて過ごさなければならない。

今、そういう児童生徒が実際に急増しています。 周りが香料つき洗剤を使ってさえいなければ普通の人間と同じように過ごせるのに、においがあるせいで学校に行けない。人権までも奪われなければいけない。 そんな社会に正直絶望してしまっています。

私は化学物質過敏症に一歩足を突っ込んだ状態かもしれません。 が、過敏症患者さんの気持ちは痛いほどわかりますし、そういう洗剤を使い続けていれば、今、無意識に加害をしている使用者だって、いつ発症して被害者になるかわかりません。

水俣病や、アスベスト、たばこの問題と同じで、国は、被害者がもっともっと増大しないと具体的な規制をかけません。 TVでも、報道はあまりされません。 なぜかというと、洗濯公害を生んでいる大手洗剤メーカーが番組のスポンサーに入って、きれいなタレントを使って、バンバンCMを打っているからです。

大手洗剤メーカーがスポンサーとして大きな力を持つ中で、多くの人は『その洗剤が普通であり、安全である』という情報しか得られない環境に置かれているんです。

それに気づいた人が声をあげたって小さいものです。 気づいた人はひっそりと不買活動を行うぐらいです。

身体感覚を否定される経験

で、そういう人が言われるのは 「あの人意識高い」 「健康に気をつけようとすると高くつく」 「わたしはそんなの気にしない」 病気になってから払う医療費のほうが高いのに。

結局、においがつらくて苦しんでいる人には「あの人敏感すぎる。普通のもの買って使っているだけなのに。なんでこっちが洗剤変えなきゃいけないの。おかしい。」 と言われて、なかったことにされて、孤立していくんです。

でも、結局、国も企業も、洗剤変えてくれないあの人も、変わらないんです。 自分は変えられるけど他人は変えられないから。

でも、わたしの身体感覚だって誰にも変えられない。 つらいものはつらいし、体に入れたくないし、つらい空気を吸いたくない。

柔軟剤ユーザーからいただいた食べ物は、柔軟剤のにおいがします。マイクロカプセルが付着しているので柔軟剤の成分と一緒に口に入れること、とても葛藤します。(せっかくご好意でいただいたのに、という葛藤です) 学校の図書館から借りてきた本は、柔軟剤のにおいがする。 その本をさわるだけで、手ににおいがつく。 何分も流水で洗わないと、調理した時にその手から野菜へにおいが移る。そして家族の口に入る。それが本当に気持ちが悪い。

身体感覚は本物

そう感じる身体感覚は本物なんです。

合成洗剤があまり良くないと知ってから、私は化学物質過敏症患者さんの声をSNSで調べるようになりました。 患者さんたちは、他人は変わらないのは重々承知の上で、人権を守りたい、化学物質を含まない空気を吸いたい、柔軟剤のにおいのする海産物を食べたくない、という一心で、叫び続けているんです。

また、過敏症患者さんたちが提唱することは地球環境にとっても大切なことなんだとわかりました。 「土に根をおろし、風とともに生きよう」 天空の城ラピュタの、シータと同じことを言っているだけなんです。

合成洗剤や柔軟剤を使用しなくなった近隣の海には、海産物の漁獲高が戻ってきたと言われています。

私もやめてみて分かったんです。 合成洗剤を使っている間、咳喘息に悩まされていたのですが、やめてから、咳喘息が出なくなったこと。 娘も、やめてから喘息が出なくなり、以前は病院で吸入をしてもらったり喘息の薬を飲んでいたこともあったけど、それがなくなったこと。 ブタクサ花粉症がなおったこと。 変な動悸がしていたのを、年とったからだと思っていたけど、それが治ったこと。

でも、それを訴えても訴えても、なかなか日本という国の環境や政治は良くならない。 周りだって理解者が増えるわけでもない。

本当に、時々、絶望して心が折れそうになることもあります。

それでも社会と繋がり続ける選択

でも、私が、もし絶望したまま社会と距離を置こうとしていたら、この刺し子作家という仕事はしていなかったかもしれません。 ブログも続けていなかったかもしれません。

前に、家族からも、「気にしすぎ。考えないようにしろ」と言われた時、身体感覚を無視しろ。気にしすぎる自分を否定しろ。と言われた時、本当に心が崩れそうになったこともありますが、もし本当にそれで絶望していたら、失踪していたかもしれません。 (家族としてはそういう趣旨では言っていない。ただ、気にしすぎてつらそうな私を見るのが心配だった、と言いますが、どういう趣旨であれ、私はそれにしたがったら私が私でなくなると思ったんです)

ただ、でも、私はまだ生きているし、社会ともつながっているし、刺し子で自分を表現できているし、ブログも続けているし、離婚もしていません。

その選択って、なんだったんだろう。

社会の矛盾を目一杯感じながらも、身体感覚を大事にせずにはいられない。

一つは、娘が社会をつなげてくれているということが大きいかなと思います。 そして、もう一つは、その身体感覚から生まれた刺し子作品を、求めてくださるお客様や、このようなことを発信し続けているブログやインスタに共鳴してくださる、同志の方が少なくはないからかなと思います。

そして、先日、GACKTさんの言葉を読みました。 それが私にとってとても核心に迫る言葉でした。 ここに紹介します。

6. 「世界と断絶するな」というGACKTの言葉

後輩の一人から、こんな相談を受けた。

「今の社会で生きづらい。 理解されないことが多すぎて、 自分の考えを言えない」

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世の中には、 いわゆる【普通】に染まれない人間が一定数いる。

それは異常でも欠陥でもない。 ただ【思考構造が違う】だけ。

問題はそこじゃない。

【違うまま、どう生きるか】

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自分が異質だと感じるなら、 まずそれを受け入れろ。

その上で、 社会を理解しようとする姿勢だけは捨てるな。

迎合する必要はない。 だが、 理解しようとしない姿勢は ただの孤立を生む。

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「ありのままでいい」

この言葉は半分正しくて、半分危険だ。

何も考えずに振りかざせば、 それは【成長の放棄】になる。

本当に必要なのはこれ。

【自分の軸を持ったまま、他者の構造を理解すること】

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自分が否定されたと感じたからといって、 周りを否定するな。

それをやった瞬間、 世界との接点はすべて断ち切られる。

理解されない人間が、 さらに理解されなくなるだけ。

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マイノリティであることを恐れる必要はない。

だが、 マイノリティであることを盾にするな。

それは強さじゃない。 ただの逃げ。

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理解しようとする姿勢を持て。

それだけで、 伝え方は変わる。 言葉の精度も上がる。 見える景色も変わる。

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結論はシンプル。

オマエはオマエのままでいい。

ただし―― 【世界と断絶するな】

それが、 同じ側の者としての ボクからできるアドバイスだよ。

自分の軸を持ったまま、他者の構造を理解する。

まさにこれは、私が苦しいと思いつつやってきたことだし、 これからもこれを胸にやっていきたいと思いました。

同志へのメッセージ

いま、同じように生きづらさを感じているすべての同志に、完全に戦う必要もない、完全に譲歩する必要もないんだよって伝えたくてこのブログを書いています。

もし、あなたも同じように『身体感覚の違い』で苦しんでいるなら、あなたは一人じゃない。完全に戦う必要もない、完全に譲歩する必要もない。その中で、自分たちにできることを、一つずつ選んでいく。

nuu.neは、そんな同志の方たちと繋がれる場所でありたいと思っています。

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刺し子は、押し込められてきた感覚を、一針ずつ、ほどいていく。 身体に戻るための、静かな手仕事。
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参考資料・出典

本ブログで参考にした情報源:

GACKTさんの引用について:

 

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