立夏。暦の上では夏が始まります。
外の光は強くなって、空気も熱を含みはじめる。でもこの時期、体より先に揺れやすいのは、たぶん「内側」です。なんとなく落ち着かない。イライラする。夜、少し眠りが浅くなる。
東洋医学では、夏は「火」の季節。そして対応する臓は「心(しん)」といいます。この「心」は単なる臓器ではなくて、意識・感情・睡眠──つまり「自分の中心の状態」を司る場所。だからこの時期は、外が明るくなるほど、内側も動きやすくなる。整っていれば、ひらいていくし、整っていなければ、ざわつく。

外の光は強くなって、空気も熱を含みはじめる。でもこの時期、体より先に揺れやすいのは、たぶん「内側」です。なんとなく落ち着かない。イライラする。夜、少し眠りが浅くなる。
東洋医学では、夏は「火」の季節。そして対応する臓は「心(しん)」といいます。この「心」は単なる臓器ではなくて、意識・感情・睡眠──つまり「自分の中心の状態」を司る場所。だからこの時期は、外が明るくなるほど、内側も動きやすくなる。整っていれば、ひらいていくし、整っていなければ、ざわつく。
対処法はいくつもあるけれど、大きく言えば「熱を持ちすぎないこと」。
たとえば食べ物なら、緑茶のような、ほんのり冷ますものです。でもそれ以上に大事なのは、「やりすぎないこと」かもしれません。動きすぎない。頑張りすぎない。汗をかきすぎない。
外に出ていく力が強まる季節だからこそ、どこまで出すかを自分で選ぶ。
ここが、穀雨(春の終わり)との違いだと思う。穀雨のとき、私は「今の気がそのまま形に出てしまう。隠せない」という実感を書きました。春の肝気が高ぶって、でも湿によって巡りが滞ってる。その滞りは針目にも出る。だから「流れているかどうか」を静かに見つめるしかなかった。
でも立夏は違う。滞りながらも、「ここからどうするか」を自分で決められる感覚が出てくる。実際、この季節に入ってから、新しい図案を考えたくなったり、刺したくなったりしてるんです。

新しく作ってみた図案を、新緑の季節にぴったりな緑の糸で刺してみました
穀雨では「今、現在進行形で滞ってるものを受け入れるしかない」という宿命的な感じだったのに、立夏では「次へ向かう準備が整う」という、違う質感。
布に触れる。針を持つ。ただ、一定のリズムで刺していく。それは何かを「作る」時間であると同時に、外へ向かっていた意識を内側に戻す時間でもある。穀雨では、その時間が「現在の流れを見つめる時間」だったとすれば、立夏は「次の季節に向けて、自分を整える時間」になっている。
立夏は何かを足す季節というより、「いま、自分は整っているか」を確かめる季節です。
でもそれは、受け身じゃなくて。
確かめた上で、「ここから先、どう進みたいか」を自分で選ぶ段階でもある。外に合わせる前に、一度、自分に聞いてみる。気は、整ってる?そして、それに応えるように、新しく作りたいものが見える。それが立夏。


コメント