完璧主義で育てられた私が、刺し子で学んだこと

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このブログは、こんな人に向けて書きました

正解を探し続けて疲れている人へ。

「これで合ってる?」が止まらない人へ。

 

実は、正しさにとらわれていた私が救いを求めて東洋医学に傾倒した時期がありました。

ある鍼灸師の先生がインスタグラムで東洋医学で「整える」ことの本質について発信していたんです。

その先生は、一般的な東洋医学の情報と違いました。基本的な知識ではなく、もっと根本的なことを説いていました。「自分の身体の欲求から、自分の身体の状態を知ること。無理して気が足りなくなることをしない。外面を作らない。」そういう教えでした。

その考えに惹かれて、先生のインスタライブを毎日見ていました。

フォロワーさんからのお悩み相談への回答も、むさぼるように読んでいました。

でも、いつからか、しんどくなりました。

なぜしんどくなったのか

例えば甘いものを欲するのは身体をゆるめたいという身体の欲求。整ったら食べたくなくなるという。。

最初は期待を持っていました。

自分も無理をやめて、身体の声を聞けば、甘いものから解放され「整ってる自分」が手に入るかもしれないと思った。

先生も「時間がかかる」と言っていたし、焦らずに、でも希望を持っていました。

でも、甘いものはやめられない。今でも食べたくなります。

そしてね。もし本当に「無理をやめる」ことを徹底するなら、現在の自分の人間関係や生活環境を完全に変えないといけないんですよ。

先生の教えは「完全に無理をやめる」というスタンスだから、それができない自分は「だめ」だ、と自分を責めてしまう。

そうゆう私のような患者さんに対して、「まじめめ!」と先生は喝を入れられます 笑

でも、まじめがなおりませんでした。。それも、自分を責めるループになってました。 汗

背景——採点機が根付いた理由

実は、この話には背景がありました。

子ども時代の私は、完璧主義で育てられました。

テストで良い点を取るのも習い事で賞をとるのも「当たり前」。

何か成し遂げても、それが評価されることはない。あるのは「足りない部分」への指摘。

つまり、成功しても0点。失敗だけがマイナス点という採点方式の中で、育ちました。

だから、「ほめられて伸びた」という感覚が、私にはありません。

結果、自己肯定感が低くなりました。そして、その低さは、大人になっても消えませんでした。

むしろ、その中で身についたのが「採点機」です。

誰かからアドバイスをもらう→→自動的に採点する

その回路が、子ども時代に根付いてしまったんです。

その時代の子育ては、そういうものだったのかもしれません。

でも、その方法は、私には苦しかった。

気づき——先生のせいではなく、自分の受け取り器のせい

先生が悪いわけじゃない。先生の教えも本当だと思う。先生は優しいし、直球で、外面を作らない人だ。

でも、私の「受け取り器」が問題だったんです。

私は、採点機を持ってる。子ども時代から根付いた、その採点機。

だから、何をもらっても「採点」に変換してしまう。先生の優しさも、教えも、すべて「自分はまだ足りない」という採点に変わってしまう。

先生は「揺れてもいい、また整えばいい」と言っていました。

でも、ずっと足りない自分を見つめ続けているような気分になって。

結局、そのコンテンツを見るのをやめることにしました。

基本的な考え方は十分学んだし。だから、もう大丈夫だと思った。

 

その時に気づいたこと

その中でも私はずっと刺し子をしていました。

東洋医学との出会いは、刺し子とは関係のない、ただの自分の興味。二つがつながってるなんて、最初は気づきもしなかった。

でも、東洋医学のコンテンツを見て、採点機が反応して、苦しくなった時に、初めて気づいたんです。

刺し子も東洋医学も、本来は同じ場所だ。

「身体さんの声を聞く」「自分の欲求から自分の状態を知る」——言ってることは、ほぼ同じです。

どちらも優しい場所のはず。

でも、刺し子では、その苦しさがない。

なぜだろう。

刺し子で気づいたこと

実は、刺し子を始めた当初も、採点機が、バリバリ動いていたんです。

最初の私は、「正しい糸始末は何ですか?」「正しい刺し方は?」と、検索魔のようにブログを漁っていました。

「間違えちゃいけない」「正解を知らなきゃ」という、その古い回路。

でも、東洋医学に出会って、気づきました。

剣道や茶道みたいに、刺し子にも「型」がある。基本的な糸始末の方法とか、道具の使い方とか。そういう最低限の型は、学ぶ必要がある。

でも、その型を学んだら、その先は違うんだ。

「この長さの中に、何目刺さなきゃ」とか「完璧に揃えなきゃ」みたいなルールはない。

昔の人はこうしてたんだろうな、と想像しながら。自分の手が何を求めているのか、聞きながら。自分にとってやりやすい方法を探りながら。

そうやって、刺し子をしていくんだ。

その時に、初めて気づいたんです。

採点機を持ってる自分でも、その採点機に支配されない場所がある、ということに。

採点機との付き合い方

子ども時代から根付いた採点機。

それは、私の一部になっていて、消えることはない。

でも、気づいたんです。

採点機を「治す」必要はない。むしろ、それは、完璧を求める感受性の強さと表裏一体のもの。

その感受性があるから、刺し子で「整う」という感覚を言語化できるし、違和感にも敏感でいられる。

採点機と、付き合い方を変えるだけでいい。

東洋医学のコンテンツを見ると採点機が反応する?──見るのをやめればいい。自分に合わない情報との付き合い方を選ぶ。

刺し子で「正しい刺し方は?」と採点機が動く?──基本を学んだら、その先は自分。採点機があってもいい。その中で、自分にとってやりやすい方法を選べばいい。

「完璧に整わなきゃ」という声が聞こえる?──そんなことはない。揺れても大丈夫。何度でも戻ってくればいい。

刺し子では、採点機と違う付き合い方ができる。

完璧じゃなくても刺せます。整っていなくても刺せます。

刺しているあいだ、あなたは1人の世界に入る。

そこには誰の評価もない。採点もない。

ただ、きれいな模様が完成するのを楽しみにして。何も考えず。自分だけの時間。

 

正解を探し続けて疲れている人へ。

「これで合ってる?」が止まらない人へ。

ここには、そういう時間がある。刺し子は、そういう場所です。

 

 

もし、いま「1人の世界に入りたい」と思ったなら。

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上達の近道ではありません。感覚が自然に深まる順に、3つの柄が並んでいます。説明書も、糸の量も、型紙も、すべてが「気持ちよく刺すことに集中する」ためにデザインされています。

一針ごとに、布との距離が変わっていく。その変化を味わうためのキットです。

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