数年前に、同じタイトルで記事を書いています。
そのときは「楽しい」「癒される」という感覚を、そのまま言葉にしていました。
過去の自分の視点も↓こちらに置いておきますね。
(▶︎過去記事はこちら)
刺し子は、癒しです。

そう言われることが多いし、
「マインドフルネスのための手仕事」っていうのも、たぶんそうなんだと思う。
糸を選ぶ時間。
どの色にしようかと、ただ眺めているだけの静けさ。
針を動かし続けているうちに、 いつのまにか余計なことを考えなくなっている時間。
規則正しく並んでいく縫い目が、 少しずつ模様として立ち上がってくる瞬間。
たしかにそれは、やさしくて、落ち着くもの。
でも、今は少し違うふうにも感じています。
刺し子は、「癒してくれるもの」というより、
気づいたら、自分の内側が整ってしまう行為に近い。
整えようとしているわけではないのに、
同じ動きを繰り返しているうちに、 思考のざわつきが、すっと静まっていく。
そして、そのあとに残るのは、 ただ真っ直ぐにチクチク縫われた針目。
これが、なんというか 、毎回ちょっと不思議で。
同じように縫っているはずなのに、 なぜか、縫う人によって全然違う表情になる。
キットのように、印刷された線の上を縫うだけでも、 やっぱりその人のクセは出る。
方眼を頼りに刺したり、 ガイドのない、ただまっすぐな線の上を刺すと、
それがもっとはっきり出る。
「自分のキャラクターを隠して、 表面を装って人と接してきました。」
そういう人の話を聞くことがあります。
でも、たぶん 取り繕えていると思っているのは本人だけで、
どんなに隠しても、 その人となりって、にじむ。
それが、そのまま刺し目に出る。
これと、同じです。
どんなにごまかしても、ごまかせない。
正直、そこは少し おそろしいなと思うこともあります。

無心になれる、という言葉の裏には、 無心の中でしか見えないものがある。
整う、ということは、 見ないふりをしていたものにも気づいてしまう、ということでもある。
楽しいから、というだけじゃなくて、
あの静けさの中に、 ちゃんと何かがある感じがする。
「癒し」と呼ぶには、少し深い。
でも確実に、 自分を元の位置に戻していく感覚。
刺し子の魅力とおそろしさは、 たぶん、その両方が同時にある。
もしこの感覚を、 自分の手でも確かめてみたいと思ったら
今、キットという形で 少しずつ準備をしています。
以前販売していたものを、 いったんすべて手放して、
あらためて組み直しているところです。
整う感覚を、そのまま手の中で感じてもらえるようなものにしたくて、
時間をかけて、整えています。
準備ができたらInstagramでお知らせします。
よければ、そちらも覗いてみてくださいね。



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