むきだしの命に触れて、泣いた日の話

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小学校では、毎年先生方が転任されるので、離任式という行事があります。

保護者も参加OKなので、出席しました。

「先生大好き!子どもたちの成長を見守ってくれた!美しいー😭なんか感動ー😭え?私情緒不安定!?笑」

そんな気持ちで涙が出たわけではない、ということは先に書いておきます。。

 

コロナ禍では、「新しい生活様式」と呼ばれるやり方に強い違和感がありました。 

私なりに調べる中で、報道されている一方向の見解だけではなく、 

疑問を持つ医師の発信にも触れるようになり、 

子どもの心の成長に影響があるのではないかと感じる場面もありました。

マイノリティであるがゆえに、寄り添ってもらえないと感じたことや、 

戸惑いを覚えたこともあります。

それでも。

先生の涙声のあいさつと、最後の校歌、そして子どもたちの涙を見て、

自分でも引くくらい泣いていました。

子どもたちの涙は、まっすぐで、きれいに見せようともせず、そのまま外に出ていました。

そして先生たちもまた、 それぞれの立場で抱えてきたものを背負ったまま、 その場に立っていたのだと思います。

子どもは純粋だから、ではなくて、 きれいなところも、未熟さも、乱れも、 全部そのまま外に出ている状態。

それは強くて、まぶしくて、 少し怖いくらいに、生きていました。

思えば、赤ちゃんを見たときにも、 同じように涙が出そうになることがあった気がします。

あの感じと、どこかでつながっている。

自分を深く見つめてみると、命の状態に反応する感覚が強く、自分の内側と外側を切り離せないのかなと考えています。東日本大震災のニュースを見ると、被災者の方の感情まで背負ってしまい、苦しくて、見ていられなくなる。そんなタイプです。割り切れずに、自分の中に通してしまう。

普通なら生きづらさ、しんどさも感じやすいのですが、「刺し子」という通し道を持っているのが救いなのだと思います。

刺し子も、針目は揃っていくのに、

その中にある揺らぎや、そのときの呼吸は消えません。

きれいに整えきることはできないし、 だからこそ、そこに人の気配が残る。

命を覆い隠さずに、 そのまま布の上に通していくような感覚。

だから私は、刺しているのかもしれません。

刺し子は、 私の命がむき出しのまま、あらわれているもの。

そしてきっと、ほかの人の刺し子も同じで、 刺している人の命が、そのまま出ている。

だから、尊いのだと思います。

 

むきだしの命を感じてあなたは何を思いますか?

命をそのまま通すように刺したものたちを置いています↓

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〜刺し子を通じてわたしが届けたいこと〜刺し子には生地の補強の他に古くから厄除け、長寿、健康、子孫繁栄、健やかな成長など様々な刺し方に意味を込めていました。「針目や糸色を見ていると心が癒されます」「手術がうまくいくよう、願いを込めたかったので...

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