最近、AIの進化がすごいですね。AIに仕事をとられるか?とか、AIをいかに自分の仕事に活かすか?という情報があふれています。
刺し子とAI 。全然関係ないようにも見えるけど、 将来、刺し子はAIによってどんな影響を受けるんだろう?
そんなことを考えていると、西野亮廣さんがその答えのヒントをくれていた動画を見つけました。

これからの時代は、「アンカー(錨)」があるものしか残らない、と。
時間、土地、過程、癒着、思い出。
「アンカー」というと難しそうだけど、
AIは時間をかけて何かを作る実績は生み出せない。
AIは、「中学校時代は⚪︎⚪︎だったよなー」という思い出は作れない。
これらのどれかの「アンカー」があるものは、簡単には代替されない。
逆にいうと、この5つが絡んでいないサービスは、AIに置き換わっていく。
その話を聞いたとき、なんだか、少しぞくっとして、でも同時に、すごくしっくりきました。

刺し子って、この「アンカー」を全部持ってるじゃあないですか!?
ひと針ひと針、進めていく時間。
同じ模様でも、刺す人によって、少しずつ違っていく。
それはたぶん、その人が過ごしてきた時間が、そのまま縫い目に出る。
もともとは、寒い土地で布を長く使うための知恵で。無駄にしないための工夫で。
だから刺し子には、土地の空気みたいなものが、残っている気がします。
刺している時間は、うまく言えないけど、少しだけ静かになる。
何かをお願いしているわけじゃなくて、整っていく感じ。
自分の中が、少しずつ、揃っていくような。
そして、出来上がったものは、誰かの生活の中に入っていく。
毎日使うものになったり、ふとしたときに手に取るものになったり。
気づかないうちに、その人の時間の一部になっていく。
だから刺し子って、ただの布ではなくて、
時間とか、空気とか、その人の中に残る何かとか、そういうものを運ぶものなんだと思います。
AIは確かに魔法のようなことが魔法のようなスピードでできてしまう。
刺し子の歴史とか、模様がどれだけあるかとか、調べれば瞬時にわかってしまうし、
新しい図案も今後AIによって生み出されるのかもしれない。
でも、その新たな設計図に命を吹き込み、布に温もりや哲学を宿らせるのは、どこまでも「人間の手」であり続けるのではないでしょうか。
規則正しいパターンの中に生まれる、わずかな手の震えや、糸の締まり具合の差。AIがシミュレートできない「生身の人間がそこにいた証」が、ラグジュアリーな価値として確立されるだろう。
と、AIが刺し子の未来を予想してくれました。
わたしの刺し子を見ることが好きなところはまさしくその「ゆらぎ」です。
まえに、「あなたの作品に神様がいっぱい笑ってる」と言ってくれた人がいたけど、
AIや機械化で作られたものには神様はおそらくいない。
その「ゆらぎ」の中にしか、宿らないもの。
そうゆうものに、理由はおそらく自分ではっきりと理解はできないけど、なんだか惹かれて、
刺し子の何かを身の回りにおいて眺めておきたくなる。
刺し子を刺す時間が好きで、大切だと思える。
そういう人は、これからもきっといなくならないんだろうな。と、思いました。
刺し子は、AIに勝つためのものではなくて、そもそも比べる場所にいないものなのかもしれません。
5つのアンカーを全てもっている、生身の刺し子。
もしよければ、手に取ってみてください。




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