先日、こんな言葉を目にしました。
日本人ほど文化文化とわめきながら、
文化を大切にしない国民はいない。
それは自分自身を大切にしないことに通ずる。
白洲正子の著書「近江山河抄」にある言葉だそうです。
最初に読んだとき、なぜかとても腑に落ちる感じがありました。
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最近、こんなニュースも目にしました。
国立の博物館や美術館に対して、
自己収入を増やすなどの収益目標が課される方針が示され、
現場から困惑の声が上がっているというものです。
https://youtu.be/VRuF5tmXxvg?si=06F3-pCG4GwYodx3
博物館や美術館は、本来「資料の保存や研究」という公共的な役割を担っています。
もし収益ばかりが求められるようになれば、学術的に重要だけれど地味な展示や研究が
難しくなるのではないかという懸念もあるそうです。
防衛費(軍備)を倍増させ、海外への巨額支援(ODA等)を拡大する一方で、自国の足元にある文化・芸術への予算は驚くほど削られ続けています。
そう考えると、白洲正子さんの言葉がふと重なって見えました。
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文化というと、何か特別なもののように聞こえるかもしれません。
けれど本当は、文化とはもっと日常の中にあるものなのではないかと思います。
季節を感じること。
手で作ること。
身体の感覚を大切にすること。
そういうものが、長い時間をかけて積み重なり、文化になっていく。
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最近思うのですが、身体の感覚が整ってくると、
選ぶものも少し変わってくる気がします。
以前は気にならなかった香りの強い洗剤が、ある日ふと「強すぎる」と感じたり。
布の肌ざわりに敏感になったり、天然のウールやリネンの服をとても心地よく感じたり。
前回の記事でも少し書きましたが、
日本製の質の高いものをお直ししながら長く使うことに価値を感じるようになったり。
そういう小さな身体の感覚の中に、文化はあるのかもしれません。
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昔の女性たちは、
知ってか知らずか(おそらく生活の必要に迫られてという面も大きかったでしょうが)、
暮らしの中の手仕事に
季節を感じ、
自然の素材を使い、
身体の感覚を大切にしながら
生活していました。
藍染の布は虫除けや抗菌の効果もあると言われていますし、
自然のものを何一つ無駄にせず享受し、最後まで慈しむため
布を強くするために刺し子が施されることもありました。
そうした手仕事の中で、女性たちは家族や自分自身の暮らしを
大切に守ってきたのだと思います。

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「衣食住」という言葉があるように、
日本人は昔から
着るもの
食べるもの
住むこと
をとても大切にしてきました。
天然繊維の服を選ぶこと。石けんで洗濯すること。無添加の食事を選ぶこと。良いものを求めて、長く使うこと。
今では、そうしたことを「意識高い」と揶揄する声を耳にすることもあります。
けれど本来、身体の感覚を大切にすることは
とても自然で当たり前のことだったはずです。
それは、自分自身を大切に思う気持ちそのものなのではないでしょうか。
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もしかすると今は、体の感覚を感じ取ることさえ難しい世の中になってしまったのかもしれません。
だからこそ、私はこれからも自分の身体の感覚を大切にしながら、文化も大切にしていきたいと思っています。
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