今クールで放映されているドラマ
「冬のなんかさ、春のなんかね」。
何か強烈なメッセージ性があるわけでもなく、 謎解きでもなく、
ただ、ある女の子・土田文菜の恋愛にフォーカスされた物語。
最近、ずっとそのドラマのことを考えています。

自分がどう思うか、とか 誰の視点で見ているか、とか、
そういうことにはあまり興味がなくて、文菜の恋愛に対する SNSのみなさんの考察が面白くて、
その考察があふれて止まらないこの物語の“紡ぎ手”のことが気になって、
監督のインタビュー動画を見ました。

その中で、監督が言っていた言葉。
「今まで声をあげてこなかった弱者が、声をあげざるを得ない世の中になってきているが、
声をあげなくても、弱者のままでいられるような世の中がいい」
その言葉が、すごく心に刺さりました。
一年前の動画だけど、 当時よりも今のほうが、この言葉が刺さる気がしています。
私はやっぱり、 弱者が切り捨てられる世の中が嫌いです。
大きな声を出せない人。
うまく言葉にできない人。
そういう存在を、無理にドラマチックにせず、 そのまま肯定する視点。
きっと私は、そこに強く惹かれているんだと思います。
今は、「声をあげられない人」にも、
「声をあげる力」が求められる世の中になってきている。
それは、とても残酷なことなんじゃないかと感じています。
私は、「声をあげられない側」のつらさに強く共鳴しています。
そしてその感覚が、作品をつくる力になっています。
静かでも届くもの。
無理に煽らないもの。
気づいた人だけが、胸にひびくもの。
そんなものを、作りたい。

だれかを大声で励ますためのものではなくて、
役に立つから価値があるものでもなくて、
ただ整って、そこにあるもの。
刺し子は、大量生産品ではありません。
一つの作品の中に、 完璧に整った針目はひとつもなくて、 少しずつゆらぎがあります。
そのゆらぎを見ていると、 呼吸が少しゆるんで、 張っていた肩を、ふと下ろせる。
心のどこかにあった力が、 すっとほどけていく。
そんな瞬間を、思い出させるもの。
もし、そんな時間が必要な日に。
そばに置いてもらえたら、うれしいです。

そんな思いで、作品を作っています。

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今泉作品。昔これを見たことがあった。ひりひりした。


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