前回、勇気を出して香害に苦しむわたしの話を書きました。

ストーリーズにリンクを出す時は、ドキドキしていたけど、「いいね」をたくさんいただいて、共感してくれる方も多く、ほっとしました。
私は、なぜ自分は刺し子が好きなのか。刺し子が自分に必要なのか。常々考えています。
また、コロナ禍を経験して、時代の背景が、自分のあり方にすごく関係あるんだと感じている。40年間、ぼやっと生きてきたけど、ぼやっと生きられて自分は幸せだったんだな、と。
香害
HSP
化学物質過敏
発達特性
感覚過敏
オーガニック志向
ミニマリズム
東洋思想
手仕事回帰
一見、別々の現象に見えるこれらが、実は全部うっすら地続きなんじゃないか、って。
なぜ、全部が地続きなのか
根っこにあるのは、たぶん「外側の刺激や規格に、自分の感覚が飲み込まれすぎている」という時代感覚だ。
今、いろんな場所で、こういう疲労が起きている
- 香りが強すぎる
- 情報が多すぎる
- ノイズが多すぎる
- 期待される役割が多すぎる
- 常に接続されすぎる
- “普通”の圧が強すぎる
その反動として、「自分の感覚を取り戻したい」という流れが、別々の名前で現れてるんだと思う。
各現象が実は同じものを言ってる
香害・化学物質過敏
単に「匂いが嫌」だけじゃなくて、「人工的に作られた刺激が、身体の境界を越えて侵入してくる」という感覚への拒否。
HSP・感覚過敏・発達特性
「みんなが平気な刺激を、平気として処理できない」という話。だけど逆に言えば、「鈍感化を前提に作られた社会」に対して、身体が無理をしているとも言える。
オーガニック志向
農薬が悪い、添加物が悪い、だけではなく、「何を身体に入れると、自分の感覚が濁るのか」を探している。つまり、”正しさ”より”感覚”に軸が戻ってきている。
ミニマリズム
単なる片付けじゃなくて、「情報・モノ・選択肢・人間関係が多すぎて、感覚が散る」から、余白を作って神経を守ろうとしている面がある。
東洋思想
「外の基準より、内側の巡りや調和を見る」感覚が強い。効率より、整っているか。気が滞ってないか。過剰になってないか。
手仕事回帰
大量生産・高速消費・抽象化された労働から離れて、触る、繰り返す、呼吸を合わせる、素材と同期する、身体感覚を取り戻す方向に戻ろうとしている。
全部に共通してるのは、「もっと刺激を」ではなく、「これ以上、感覚を壊されたくない」という流れなんだ。
私の刺し子の意味
これを理解してから、自分の刺し子をもう一度見つめると、かなり違う景色が見える。
刺し子は、私にとって「整った人がするもの」ではない。
むしろ、気持ちが散っている時、現実がしんどい時、考えすぎてしまう時ほど、針を持っていることがある。
ただ、刺し子の不思議なところは、逃げるように始めたとしても、同じ動作を繰り返しているうちに、少しずつ身体や感覚が戻ってくること。
最初は、ただ無心になりたいだけなのに、糸の張り、布の抵抗、呼吸の浅さ、肩の力み、針の進み方。そういう小さな感覚が、あとから静かに浮かび上がってくる。
「整えよう」と意識しなくても、針を進めるうちに、バラバラだったものが少しずつ揃っていく。
だから、刺している時間は、私にとって「自分が自分に戻っていくための通路」みたいなものなんだと思う。
刺す行為だけが、回復ではない
でも、ここまで考えると、気付くことがある。
刺し子の価値って、刺す行為だけじゃないんじゃないか、ってこと。
額装などを手元に置いて、見る、という行為だけでも、その感覚を取り戻すプロセスが起動する気がする。
つまり、「完成した作品を見て、持つ」という体験も、同じくらい重要な回復の形なんだ。
作品を目にした時、「あ、自分はこういう手仕事の中で、気が整うんだ」と思い出す。
その思い出すことが、実は、感覚を取り戻す行為そのものなんだと思う。

終わりに
香害から始まった話が、結局のところ「感覚を守りたい」という、今の時代の深い流れにつながっていた。
そして、その流れの中で、刺し子という行為がどんな意味を持つのかが、より見えてきた。
手芸ではない。単なる作品づくりでもない。
それは、「現代社会で飲み込まれた感覚を、もう一度自分のものに戻す」という、とても深い行為なんだ。
そしてそれは、針を持つ人、作品を見つめる人、両方の中で起こる。
だから、nuu.neは、そのプロセスの全部を大事にしたいんだと思う。
作品、キットなど不定期にOPENしています



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