本当にそう?から生まれる刺し子

※このサイトはアフィリエイト広告(Amazonアソシエイト含む)を掲載しています

私はたぶん昔から、
「すでに決められているものを、そのまま正しいものとして受け入れること」への抵抗が強い。

誰かがそう言っているから。
多くの人がそう思っているから。
昔からそうだから。

それだけで「そういうものなんだ」と思うことが、どうも苦手だ。

コロナ禍の頃、その性質はかなり強く表に出ていた。

社会で起きていることに「本当にそうなの?」と思うことが多くて、怒ったり、調べたり、言葉にしたりしていた。

以前、Xに投稿した文章がある。

久しぶりにそれを読んで、

「あの頃の私は、ずいぶんほとばしっていたな」

と思った。

今は、あの頃ほどではない。

でも、別に怒らなくなったわけではなかった。

政治を見ていても腹が立つことはあるし、香害の問題についても、今でも「なんとかしなければ」と思っている。

たぶん変わったのは、問題を見る目ではなく、問題との距離の取り方なのだと思う。

以前は、自分ではどうすることもできない大きな問題まで、自分の中に入れて苦しんでいた。

今は少しだけ、

これは自分が動けること。
これは自分ひとりでは動かせないこと。

その二つを分けて考えられるようになった。

自分の影響の輪の中にあることなら、考えるし、動く。

でも、輪の外にあることまで全部自分の中に入れて、苦しまなくてもいい。

それが少し分かってきたのだと思う。

ただ、「本当にそう?」と見る癖そのものは、たぶん何も変わっていない。

そして最近、それは私の刺し子にもかなり表れている気がする。

私は伝統的な刺し子が好きだ。

だから、伝統を否定したいわけでも、ただ壊したいわけでもない。

でも、

「刺し子はこういうもの」
「この図案はこう刺すもの」
「整っているほうが美しい」

そう言われると、一度、自分の目で見てみたくなる。

本当にそうだろうか。

少し形を変えたらどう見えるだろう。

均衡を崩したら、美しさはなくなるのだろうか。

違う方向から見たら、今まで見えなかったものが見えないだろうか。

「そういうものだから」で終わらせず、自分の目でもう一度見る。

そして、自分の影響の輪の中にあるものなら、自分の手で動かしてみる。

今の私の作品は、そんなところから生まれているのかもしれない。

 《均衡の外側》
麻布、綿糸
2026年

伝統的な麻の葉文様をもとに、中心へ向かうほど密度が変化する構成にしました。
崩しても整っていること。
その境目を、針目の反復で探っています。

関連記事:
[完璧主義で育てられた私が、刺し子で学んだこと]
[整然とした幾何学に、あえて隙間を作る]
[刺し子が手芸以上に深い意味を持つこと]

コメント

タイトルとURLをコピーしました