刺し子の作品をみて、
「こんなに細かく刺すのは大変でしょう」
「すごくきれいに揃っていますね」
と言っていただくことがあります。
たしかに私は、できるだけきれいに刺そうと思っています。
線の流れや、針目の間隔。
模様が連なったときの全体の見え方。
そういうものを見ながら、一針ずつ刺していきます。
でも、私の刺し子は、
機械でつくったように寸分の狂いもなく揃っているわけではありません。
近くでじっと見れば、
針目の長さが少し違っていたり、
線がほんの少し揺れていたりします。
私は、それをすべて直そうとは思っていません。
少し歪んだからといって、
糸を抜いて、きれいに揃うまで刺し直すこともしません。
「きれい」と「均一」は、同じではない
もちろん、雑でいいと思っているわけではありません。
できるだけ美しく見えるように整える。
そのための技術は必要だと思っています。
でも、
きれいであることと、完全に均一であることは、同じではない。
私はそんなふうに考えています。
人の手でつくっているのに、
人の手でつくった痕跡まで全部消してしまわなくてもいい。
少し長い一針。
わずかにずれた線。
よく見ると均一ではない模様。
離れて見ると整っているけれど、
近づいてみると、そこには小さな揺らぎがある。
私はむしろ、そんなものに惹かれます。
だから、自分の作品の中にも
その揺らぎを残しておきたいと思っています。
精密に見えるけれど

写真のポーチも、
布一面に細かな刺し子を施しています。
これを見ていると、
刺し子をする工程が一番大変そうに見えるかもしれません。
でも実は、私にとって一番苦労するのは
そこではありません。
刺し子をする時間は、
むしろ、とても好きな時間です。
同じ動作を繰り返しながら、
少しずつ布が変わっていく。
気がつけば、
何もなかった一枚の布が模様で埋まっている。
私にとって刺すことそのものは、
「大変な作業」という感覚とは少し違います。
一番緊張するのは、そのあと
大変なのは、刺し終わった布を
ひとつの「もの」に仕立てる工程です。
縫製してポーチの形にし、
最後にがま口の口金へ合わせていく。
せっかく時間をかけて刺した布を、
口金にぴたりと収めなければなりません。
位置を確認しながら、
糊を使って固定していく。
私にとっては、
刺し子をしている時間よりも
この瞬間のほうがずっと緊張します。
作品を見ただけでは、
なかなか見えない部分かもしれません。
手でつくったものを、手でつくったものとして
刺し子をしていると、
「どれだけ細かく、正確に刺せるか」に
目が向くことがあります。
もちろん、それも技術のひとつです。
けれど私は、
機械に近づくことを目指して
刺し子をしているわけではありません。
整えながらも、
すべてを支配しない。
人の手だから生まれる、
ほんの少しの揺らぎを残しておく。
その小さな不均一さまで含めて、
私は手仕事の美しさだと思っています。
だから今日も、
少し歪んだ一針を見つけても、
私はそのまま次の一針を刺します。


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