誰かのために我慢できる人を、
ずっと「優しい人」だと思っていた。
自分のことより家族を優先して、
多少しんどくても、その場が丸く収まるように動く。
それができる人は立派で、
できない私はわがままなのかもしれない。
そんなふうに思うこともあった。
でも最近、本当にそうなんだろうかと思う。
「しんどいけど、しょうがない」
「これさえ終われば、ほっとする」
そう言いながら、
誰かのために頑張り続ける。
周りも、
「あの人はそういう人だから」
「家族なんだから」
と、それを当たり前のものとして受け取っていく。
そうすると、
我慢している本人ですら、
「嫌だ」と言う選択肢があることを
忘れてしまうのかもしれない。
私自身も、長い間、
できる限り周りに合わせてきたつもりだった。
それでも一度「できない」と言ったとき、
それまでやってきたことではなく、
“やらなかったこと”だけを見られることがある。
そのとき思った。
いつまでやれば、
「もう十分だよ」になるんだろう。
もしかしたら、
誰かにそう言ってもらうのを待つんじゃなくて、
自分で「もう十分」と決めてもいいのかもしれない。
誰かが悲しむかもしれない。
わがままだと思われるかもしれない。
それでも、自分を守るために
「私はやらない」と言うことがあっていい。
私は娘にも、
誰かの期待に応えるために
自分を押し殺す人になってほしいとは思わない。
みんなと違っても、
誰かを少しがっかりさせることになっても、
「私は本当はどうしたい?」
と、自分に聞ける人でいてほしい。
だからまず、
私自身がそうありたいと思う。
誰かのために尽くすことも、もちろん優しさ。
でも、
自分を犠牲にしないことも、
同じくらい大切にしていい。
誰か一人が我慢することで保たれている「丸さ」なら、
私はもう、そこから少し降りてもいいのかもしれない。



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