季節の中で針を動かす 「二十四節気と刺し子」立秋 外へ向かっていた夏から、少しずつ内側へ

※このサイトはアフィリエイト広告(Amazonアソシエイト含む)を掲載しています

最近、なんだか焦っていました。

何かをもっと進めなきゃ。
もっと発信しなきゃ。
ちゃんと形にしなきゃ。

そんな気持ちが、いつもより少し強かった気がします。

でも振り返ってみると、
今年の夏はとても暑かったのに、
不思議と人に会いたい気持ちが強い時期でもありました。

普段より外へ出て、
人に会って、
話して、
いろいろなものを見たい。

そんなふうに、
自分の気持ちが外へ外へ向かっていたように思います。

そして今日、立秋。

暦の上では、ここから秋が始まります。

もちろん外はまだまだ真夏の暑さ。
蝉も鳴いているし、日差しも強い。

「秋」と言われても、
体感としてはまだずいぶん先のように感じます。

それでも季節は、
見えないところで少しずつ動いている。

東洋医学では、
夏は「陽」の気が盛んな季節で、
人の気持ちも外へ向かいやすいと考えられているそうです。

そして秋になると、
少しずつ陽から陰へ。

外へ広がっていたものを、
今度は内側へ収めていく季節へと移っていきます。

そう考えると、
この夏、人に会いたい、外へ出たいと思っていたことも、
なんだか季節の流れに沿っていたように感じます。

そして最近感じていた焦りも、
季節が切り替わる前の、
少し落ち着かない感じだったのかもしれません。

東洋医学で秋は、
何かをどんどん増やしていくというより、
収めたり、整えたりする季節とも考えられています。

立秋を迎えたからといって、
急に何かを変える必要はないけれどこれからは少しずつ、何を増やすか、ではなく、何を残すか。何を始めるか、ではなく、何をきちんと仕上げるか。

そんな方向へ気持ちを向けてもいいのかもしれません。

そして最近、
刺し子を見る自分の目も、
その時の気持ちによってずいぶん違うのだと感じます。

なんとなく見たい柄が変わったり、
その時の自分の気持ちに沿うようなものを求めたりする。

また、同じ柄を見ていても、
以前とはまったく違う感じ方をすることもあります。

それは刺し子もそうだし、
アートもきっと同じです。

何かを鑑賞するということは、
ただ「きれい」「好き」と受け取るだけではなくて、

自分が何を感じるのか。
何に惹かれるのか。
どこに心が動くのか。

その都度、
自分に問い返されることなのかもしれません。

そう考えると、
鑑賞するというのは、
自分の感受性や判断を試される行為でもあるのだと思います。

経営者がアートを買う、という話を聞くことがあります。

日々、正解のない中で判断を求められる人たちが、
アートを見ることに惹かれる心理って、
もしかしたらこういうことなのかもしれない。

誰かが正解を教えてくれるわけではないものを前にして、

自分はどう感じるのか。
自分は何を選ぶのか。

それを繰り返すことが、
自分自身の感覚を確かめることにつながる。

刺し子を見ている時にも、
私は案外、そんなことをしているのかもしれません。

季節が変わる時には、
外の景色だけではなく、
自分が何を見たいと思っているのか、
何に心を動かされているのかも、
少し変わっていく。

立秋は、
「今日から秋です」と、
ぱきっと季節が変わる日ではなくて、

外へ向かっていた夏の気を、
少しずつ自分の中へ戻していく合図なのかもしれません。

まだまだ暑い日は続きます。

焦って次へ進むより、
夏のあいだに出会ったものや、
感じたことを少しずつ自分の中に収めながら、

また一針ずつ、
次の季節へ向かっていこうと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました