刺し子は、押し込められてきた感覚を、一針ずつ、ほどいていく。 身体に戻るための、静かな手仕事。

刺し子を通して届けたいもの

自分の身体を、どれくらい信頼していますか。

外で何かを言われたとき、
「なんかちがう」と感じたことはないだろうか。

でもその場では、
「そういうものかもしれない」と飲み込んで、
相手に合わせてしまう。

そして帰ってから、あのときの違和感が残っていることに気づく。

最後は、自分が悪かったような気がしてくる。

周りでは「普通」とされていることに対して、
どこか違和感があった。

でもそれは、
「気にしすぎ」だと言われることが多かった。

そう言われるたびに、
自分の感覚の方を疑うようになっていった。

気がつくと、
自分の身体が何を感じているのか、
よくわからなくなっていた。

刺し子の針目をはじめて見たとき、 理由はわからないのに、目が離せなかった。

整えようとしたことは、一度もない。
それでも、その針目は、ただそこにある。

少し揺れているときも、
少し固くなっているときも、
そのままの状態が、そこに残っている。

それを見たとき、ふと気づく。

「あの違和感は、間違いじゃなかった」

外で受け取ったものに揺れていた感覚が、
すこしずつ、自分の中に戻ってくる。

刺し子に触れていると、
少しずつ、変わっていくものがある。

それは、何かができるようになることではなくて、
自分の感覚を、間違いにしなくなること。

その場で何もできなくてもいい。
帰ってから、自分を責めることが少なくなる。

体が少し固くなった、その感覚を、
ちゃんと自分のものとして扱えるようになる。

その場にいても、自分を失わないこと。
そして、帰ってから自分を責めなくなること。

何かを変えるためのものではなくて、
忘れてしまいそうになる感覚を、
思い出すためのもの。

それを、忘れないために。

もしかするとそれは、
ずっと前から、
日本の女性たちの手の中で、
繰り返されてきた感覚なのかもしれない。

くわしいプロフィールはこちら

How much do you trust your own body?

Have you ever felt, “Something is off,”
but swallowed it and went along with what was said?

And later, when you’re alone,
that feeling comes back—
and somehow, you end up blaming yourself.

I used to do that, too.
Each time I was told I was “overthinking,”
I began to doubt my own senses.

At some point,
I could no longer tell what my body was really feeling.

Then I encountered sashiko.

There was no intention to fix or control anything.
And yet, with each stitch,
something quietly returned.

Not a new skill,
but a quiet shift—
I stopped treating my own feelings as wrong.

Even if nothing could be said in the moment,
I no longer blamed myself afterward.

Sashiko is not about changing yourself.
It is a way to return—
to remember what you almost forgot.

To stay with yourself, even in the middle of everything.

Perhaps this feeling
has been carried,
quietly,
through the hands of women in Japan,
long before us.

 

 

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